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ある意味忠実な映画化『いなくなれ、群青』

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原作未読。雰囲気むちゃくちゃある青春映画だなーと思って試写会応募したら偶然当たったのでちょっと早く観れました!しかもティーチイン付きだったのでちょっとした話も聞けてホクホク。横浜流星も飯豊まりえも見たことないけど果たしてどんなもんなのか!?

 


映画「いなくなれ、群青」予告編90秒

 

ティーチインの様子は以下の記事を参照。

www.anemo.co.jp

 

まずロケーションと撮影はめちゃくちゃよかった!日本なんだけど異国感というか、ファンタジーの日本っていう雰囲気が全編にわたって溢れていて、監督も「日本のどこかわからないように場所を伏せながら撮っている」と言ってるだけあって、駅名や住居表示プレートはもちろん、車のナンバーも”階段島あ00-00”みたいに変えている徹底ぶりに、こだわりをすっごく感じました。

エンドクレジットの撮影協力で初めてどこらへんか分かったときに、それがすごく意外な場所だったので「へーーーそうなんだーーー行こうかなーーー!」って思えるほどに魅力的に撮られていました。

また、カラリストを入れて(『ムーンライト』以降ホントによく聞くようになりましたね)画面の色設計も美しく見れるように考えて作られているのもあって、フレアの色や建物内の雰囲気、海の青さや木々の豊かさ、霧の深さがさらに際立っていました。

それにより幻想感も強まっているので、階段島という謎の島の存在感も相乗効果でより良くなっていると思いました。

 

 ただ、お話のほうも雰囲気に引っ張られてふわふわしてんなーと(笑)

なぜ階段島にいるのか?、「失くしたもの」とは何なのか?というミステリ要素と主人公の七草が幼馴染の真辺に出会うことで生まれる群像劇だったり、思春期さながらな恋愛模様だったりと様々な出来事が起こるんですが、どこに絞りたいのか定まっていないように感じるんですよね。

原作小説は全6巻のシリーズものだったので結構長いんですが、それをまとめるのが上手くいかなかったかなぁという印象を持ちました。もうちょっと要素絞ってもよかったんじゃあないかなと。

役者陣も横浜流星含め主要メンバーがほぼ20代前半というのもあってフレッシュだったんですが、主役がなんとも難しいキャラクターをしているせいで横浜流星は役者不足感が否めなかったです。逆に矢作穂香松岡広大黒羽麻璃央

といった脇を固めていた若手の方がよく見えました。特に黒羽麻璃央は空気感も含めてすごく達観してるけどミステリアスという掴み所のなさが上手く現れているなぁと思いました。

 

観ていて思ったのは「これテレビアニメにしたらもっと面白くなったかもなぁ」ということ。

『色づく世界の明日から』『凪のあすから』といった篠原俊哉監督作っぽい”不思議な世界観と思春期の衝突"が本作でも展開されており、またキャラクターも悲観的な少年・曲げられない少女・ムードメーカーになりたい少年・八方美人な少女・自由奔放な少年・秘密めいた内気な少女といったまさにアニメっぽい揃い方をしていると思ったので、2クールくらいでやってほしいなぁなんて思ったりしました。

 

また、登場人物のやりとりや細かい所もリアリティがなく、原作小説をそのまま朗読しているかの様な会話や、「きみ」「あなた」と言った10代の友人同士らしからぬ呼び方、瓶ビールを持ってるけど飲んでる描写がほとんど描かれない管理人にどうやって日々を過ごしているのかわからない生活感のなさ等挙げだしたらキリがないんですが、これもアニメにすればリアリティラインが少し下がってそこまで気にならなくなるんじゃあないかなぁと思います。

原作者も自身の作風に対して

「会話をリアルに書こう」とは意識しておらず、口語体である文章も書こうとする意識のなかでは文語体になっている[3]。というのも、小説の手法は「言葉を記号化するものだ」という意識から読みやすさを優先しており、リアリティは無視しているとのこと[3]。普通はしない表現だけれど、こう書いたほうが誤読が少ない、といった文筆の傾向がある[3]

河野裕 (小説家) - Wikipedia

と語っているので、映画内のセリフ回しがやけに小説的(というか村上春樹的)なのはココが原因かなー?と思っています。でも映画なんだからそれくらいは修正したほうがよかったんじゃ?

編集も監督が「小説感を出すために」プロローグ〜1章…〜エピローグとかなり細かく区切っていますが、それぞれの長さもバラつきがあり、内容もあっちこっち行くのでホントに小説に映像を付けた感がさらに増していてちょっと寄せすぎ…とも思いました。でも小説感を出す、という意味では成功しているので狙い通りと言えばそうかもしれませんが(笑)

 

ティーチインでもプロデューサーは「元々アニメや舞台をメインにやってきていて、今回の原作を読んだときもアニメ向きだなと思ったが、実写映画としてチャレンジしてみようと思った」と言っていたので、製作サイドもわかった上であえてチャレンジしている精神はいいと思います。

ただひとつ聞いていて引っかかっていたのは「“無知は強い“という持論があるので、監督が「これは映画的に考えたら〜」という話や専門用語が出たりする度に「映画的って何なの?」「専門用語とかはわかんないから」と言ってなるべくまっさらな状態で常にチャレンジする姿勢で議論を交わしていた」という部分。これって見方によっては俺にはわからんから!と言い張って余計な労力を使わせるダメプロデューサーっぽいなー…と感じてしまいました。分野じゃない人がイニシアチブを取ってるとめんどくさい事って…ありますよね?(笑)

 

まぁ個人的には雰囲気映画〜って思ってしまいましたが、同じ原作者の『サクラダリセット』とかが合う人であればハマるかもしれません。

情景は素晴らしかったので、損するっていう程ではないと思います!

 

 

 

 青春群像劇としても素晴らしい作品

カランコエの花

カランコエの花