バシブロ

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俺とナンバーガール

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俺の青春時代はナンバーガールと共にあったと言っても過言ではない。

中学三年の夏、始めて買ったロッキンオンジャパンのフェス特別号から「音楽雑誌」なるものの面白さを知り手当たり次第に購入、立ち読みなどをした。その時買ったCDデータから気になったアーティストのアルバムをTSUTAYAに行ってジャケ借り等をしていた。当時のTSUTAYAメロコアやヒップホップなどのブームもあり昔だったら取り扱ってない様なインディーズを借りれるようになりたてだったので、音楽雑誌に載ってるようなバンドは大抵借りることができたもんである。最初から聴こうと出ているもので一番古いアルバムを借りていた。

 

その時に手に取ったアルバルのひとつに『school girl distortional addict』があった。

 

衝撃だった。当時のブームはゴイステやガガSPなどの青春パンク、エルレやPIZZA系などのメロコアといった速くてストレート、エモ初期の勢いのあるものであったのに対し、激しさというよりは焦燥感に近く、なぜか持ってもいない過去に感じる無常感、苦い懐かしさを覚えるヒリつきのあるサウンドと歌詞に一気に引き込まれた。流行りの音楽とは"何か"が違う。当時はナムヘビまで出ていたのでその後すぐさま残りのアルバムもレンタルし、MDLPでダビング。

俺だけのナンバーガールMDの完成だ。

 

中学卒業後、高校は自転車通学だった。

今は禁止されているが、ヘッドホンでナンバーガールを聴きながら通学する日々を過ごす。

ここでふと疑問が浮かぶ。ナンバーガールだけ聴き続けるという事は無論なく、椎名林檎宇多田ヒカルACIDMANといった主に東芝EMI出身者やsyrup16gなどのUKP、スーパーカー中村一義ブラフマンやハイスタといったアーティストも聴いていた。

これらのアーティストも勿論好きであったが、ナンバーガールと違い1日聴くと飽きてしまう。別のアーティストを聴きたくなるのだ。

ナンバーガールだけは2日、3日と聴く事はざらで、誰かを挟んでナンバーガール、また誰かを聴いてナンバーガールの日々。ライブ盤を聴きながら(ものすごく危険だが)三鷹から荻窪までの道程を25分で行く速度で疾走していた。高校三年間でマイMDスロットからナンバーガールが外れた日はついぞ来なかった。

高校に入ってバイトも始めた。稼いだお金はナンバーガールのディスクになった。スタジオ盤からライブ盤、5000円した会場限定の緑盤・黄盤もユニオンで買った。MDに突っ込んで「今日はどのライブ盤を聴いて帰ろうか」選り好みする時間が出来た。

 

だが、どんだけお金があろうとも手に入れられない物があった。

 

ナンバーガールのチケット。

 

初めてナンバーガールを知った時、もうナンバーガールは解散していた。1年前に。

 

CDデータで紹介されていたディスクがラストライブ盤だった事を知ったのはずいぶん後だった。

 

ライブ盤を聴いててもふと思う。「このライブを見る事はもうない」DVDを見ていても羨望の感情しかない。バイトにいた後輩の父親がナンバーガールのライブPAをやっていて見たことがある、と聞いたときは心底悔しくなった。俺は中学三年より早く知る事は出来なかったのか。ライブに行く事は出来なかったのか。何故だ。

 

初めて行ったライブは2004/2/1に渋谷クラブクアトロでやった向井アコエレだった。日常にない空気に興奮した。途中でドラびでおが客席からステージに上がりセッションを始めた時は何が何だかわからんがすげぇ、と笑みがこぼれたもんである。

卒業後はデザイン専門学校に入った。ナンバーガールのアートワークをやっていた三栖一明が好きで入った。よく真似して作ってみたりコラージュしてみたりしたもんだ。成績はよくなかったけど。

下北沢に行く事も増えてナンバーガールの出ているクイックジャパンを買ったりバリヤバを探してみたりもした。

入学後はライブに行く機会が増えた。ナンバーガール解散後にメンバーそれぞれがやっていたバンド、ZAZENBOYS、toddlesloth love chunksVOLA and the oriental machineのライブ全部行った。フロントマンであった向井のZAZENBOYSは一番行っていて、一週間で三回行った時もあったし、学校をサボって学祭でやった銀杏との2マンライブのチケットを買いに行ったりした。

野音のライブに一緒に行った大阪の友人とriff manで夢中になって頭を振り乱してる姿をスペシャのカメラに抜かれた事もあったなぁ。

他のメンバーが一堂に会した「3TOP」という企画ライブに行った時は何かサプライズがあるんじゃあないかと期待した。結果は当然、3バンドのカッコいいライブだった。そりゃそうだよな、と思った。ミラクルはない。ミッシェルやブランキーだって解散したっきりなんだ。

 

1995年から2002年まで。7年間で7枚のシングルと4枚のオリジナルアルバムと4つのライブ盤。年間100本近いライブをこなした。今考えても凄まじいスピードである。

俺はいなかった。

2003年に発売されたラストライブ盤、MCで言っていたブッチャーズ、イースタン、ファウル、カウパーズ等をどんなものなのか聴いたりもした。

俺はそこにはいない。

2005年に結成10周年を記念してベスト盤、ライブ盤、記録映像、レア音源集が出た。既に持っているライブ盤と被っているものもあったが気にせず買った。聴く機材もない上に企画ライブ盤にも収録されている中古のカセットテープライブ盤も購入した。今でも一度も聴くことがないまま持っている。

俺は傍聴者だ。どこまでいっても。

 

出会ってから16年が経った。俺は31になった。デザイン学校に通ったけど今は関係のない職に就いている。結婚もして子供も2人授かった。あの頃のようにライブも行かなくなり、映画を観るようになった。野音に一緒に行った友人は今イラストでメシを喰っている。ロック自体も聴く機会が減り、ヒップホップやアーバンミュージックなどを聴く事が多くなった。

それでもナンバーガールは絶対に聴いていた。あの時よりも聴く回数は減ったけど、確実に聴いている。媒体はCDからmp3、ストリーミングと変わっても聴き続けている。

聴いている時だけは、俺は16年前のままだ。

誘ってくれる友達も少なく、ほぼ毎週の土日をブックオフやゲームショップ、吉祥寺でタワレコとユニオンとアトモスフィアに通っていたあの時から何も変わらない。もう聴けない音楽、もう観れないライブに想いを馳せながら音を聴き続ける日々を過ごしているあの時のままだ。

親よりも友人よりも一緒に居続けたナンバーガール。人生に多大なる影響を与えたナンバーガール

 

あの時の止まった時間が動き出すのかもしれない。

叶わぬことと思っていた出来事が、諦めて、好き"だった"と振り返る表現になってしまっていた音楽が、現在進行形になるのかもしれない。

不安もある。その場に行った時に後悔しないか。思い出が勝ってしまわないか。

でもその時は来る。俺の時代が動く時が。その時を今は楽しみにしようと思う。

 

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