これぞ作家性!『ハウス・ジャック・ビルト』
悪名高き作家性を持ち合わせていながら過去にカンヌの最高賞パルムドールも受賞。しかし7年前のナチ発言によって追放処分を受けていたラース・フォン・トリアー監督が最新作を引っさげてカンヌにカムバック!上映時にはあまりの残酷さに退出者が出るも終わった後には喝采が起こったというまさに賛否両論の問題作!
しかも日本での上映は無修正版というアップグレード仕様に。(アメリカでの上映は修正版)
しかし公開すぐのTLでの評判もかなり良く、何よりシリアルキラーの12年間というストーリーにも興味を惹かれたので、ホラー苦手ですが観てきました!
いやーホントにとんでもない映画でしたね…
本作は5つのインシデント(出来事)とひとつのエピローグによって構成されていて、それによってジャックという人間がどのようにシリアルキラーとして形成されていったのかを垣間見る作りになっています。
この映画のイヤーな所はカメラが終始主人公であるシリアルキラー・ジャックに寄った距離感で撮られている事。それによって観ている観客も思わず感情移入させられそうになるんです。
1stインシデントはユマ・サーマン演じるおばさんの厚かましさ、差別的な発言にイライラさせられるので主人公ジャックの気持ちに便乗させられるんですが、その後に目の前で起きていく出来事がどんどん悪化し陰惨になっていくので「もうコイツと同期させないでくれ!」という拒否反応が生まれるんですよ。絶対ワザとそうなる様に作られてる。
しかも映画館という箱の中で観させられるのでさながら『時計仕掛けのオレンジ』のルドヴィコ療法の如し。ホントに勘弁してくれ…と思いました。
また主人公ジャックは強迫性障害を患っているので、とにかく几帳面で細かい事が気になって仕方がないんですね。そして自分のルーティン通りにいってくれないとイライラしてしまう。
それを2ndインシデントではコメディとして使われていて、ターゲットの玄関前で話が二転三転する問答の場面や(ヤバい奴感満載)、殺害現場をきれいに掃除して車に乗り込んでから「あれ…?ここ拭いてないかもしれない…」「あれ…?ここチェックしてない…」のクドいくらいの天丼展開とそんな所ありえないだろ!?っていうポイントは思わず”んなワケねーだろ!”のツッコミ待ちとしか思えないレベル!
監督のトリアーも強迫性障害を患ってるそうだけど、ホントにこんな感覚で日々を生きてるのかな…?
続く3rdインシデントでは間違いなく退席者が続出したであろう展開があるので割愛します。本作を観て是非そのキツさを体感・共有してください笑
その後もジャックがサイコなせいで予測できない展開が続きますので、非常にスリリング!この密度こそ作家性と言わんばかりの内容が待っています。
それだけでなく今作は非常に芸術的な要素をはらんでいまして。例えば下記のポスター
これは「ダンテの小舟」というウジェーヌ・ドラクロワという作家の絵画を元にしています。この絵はダンテが詩人ウェルギリウスの案内で地獄、煉獄、天国への行脚をする「神曲」の中の第8歌、地獄の河を小舟で下っていく様を描いています。終盤の展開はこの「神曲」をモチーフにしていると思われるので、この絵が引用されているのだと思います。
そんなドラクロワは19世紀のフランスで起きた”ロマン主義”という芸術運動の代表的な芸術家です。彼の作品としてもっとも有名なものの一つに「民衆を導く自由の女神」があります。フランスの7月革命を表している絵画です。
これらロマン主義の主な特徴が下記なのですが
ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、それまで古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。またそれまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的な愛情などを大きく扱った。また、古典主義はその技法上の制約によって芸術的自由を抑圧したと非難する主張から、及び古典主義の欠陥に対する反発からロマン主義の一部は出発したとされる。
この考え方、ものすごくトリアー作品っぽくないですか?
個人の根本的独自性=今作などのキャラクターの考え方
自我の欲求による実存的不安=
教条主義への反発=アンチキリストな作風
などといったようにロマン主義とトリアー監督との思想の結びつきがどんどん強く思えてきてしまうんです。
また今作を観た後にトリアーの作家性を確認したく『メランコリア』を観てみたのですが、登場人物の不安に根差した作品作り、安定しない精神、そしてそれらを否定しないメッセージ性といった部分で通底していると思いました。
『メランコリア』観た
— バシ (@bashix4) 2019年7月4日
最高に幸せな瞬間は、最高に不幸な瞬間でもあるのかもしれない、というような二面性を持ち合わせた映画
客観的に見て幸福な出来事がすべて正しいとは限らないという揺さぶりは完全に埒外からの攻撃だし、多様性を越えた発想だったから思わず唸ってしまった
これがトリアーか pic.twitter.com/TMAyX9gfP5
また、ジャックは自身の連続殺人を「芸術活動」と言っていたので、この部分でもまた”芸術”が絡んでくる…ジャックは建築家志望だったのでロマン主義というよりはバウハウスですが、(機能主義・合理主義という特徴もバウハウスの考えと合っている)結果的な思想はロマン主義のそれだと思います。
そんなジャックのような、トリアー作品のようなロマン主義を信奉し、またジャックと同じように建築家を目指していたこともある、当時の現代美術の概念を真っ向から否定した実在の人物が存在します。
それはヒトラーです。
ヒトラーは政治家になる前は芸術家を目指していた、という話は有名です。
当時の彼は芸術家を志すもウィーンの美術専門学校を不合格。その際教授に建築家の道を勧められるも、建築学校に行くには自分が中退した学校を再度受け直さなければならず、それが受け入れられないまま、どちらつかずの生活を送る事になっています。
その後ヒトラーは自分を落第させた当時の現代美術を逆恨みし、退廃芸術という名目で吊るし上げました。
その作家の中にはピカソ、フランツ・マルク、シャガール、ルートヴィヒなど数々の有名画家の名前が連なっています。詳しくは下記。
退廃芸術とは、ナチス党が近代美術や前衛芸術を、道徳的・人種的に堕落したもので、ナチス・ドイツの社会や民族感情を害するものである、として禁止するために打ち出した芸術観である。
ナチスは「退廃した」近代美術に代わり、ロマン主義的写実主義に即した英雄的で健康的な芸術、より分かりやすく因習的なスタイルの芸術を「大ドイツ芸術展」などを通じて公認芸術として賞賛した。これらの公認芸術を通してドイツ民族を賛美し、危機にある民族のモラルを国民に改めて示そうとした。一方近代美術は、ユダヤ人やスラブ人など「東方の人種的に劣った血統」の芸術家たちが、都市生活の悪影響による病気のため古典的な美の規範から逸脱し、ありのままの自然や事実をゆがめて作った有害ながらくたと非難された。
また、ヒトラーはその歪んだ考えからバウハウスを否定し、閉校・移転させる事もやっていたりと、本作のジャックとの類似点を多くあげる事ができます。劇中のジャックも“建築家”という自信の夢を壊すような行いをしますし。
またトリアーがカンヌを追放された原因はナチスに対しての発言であり、その内容は「虐殺や独裁といった行いが正しいとは思わないが、彼の思想が間違っているとは思えない」というもの。
つまりヒトラーとジャックとトリアーは相互理解できる思想を持っているのかもしれません…まぁ これら含めてすべて監督がそう思わせるように仕掛けたものだったとすれば、ものすごく芸術史観に富んだ人物だな!と驚くばかりですが笑。
これらを踏まえた上で鑑賞すると、また違った面白さが見えてくるかもしれません。
…とまぁうんうん唸りながら書いていたらメッチャ遅くなってしまいました笑
とにかく、イビツな映画体験がしたい方にオススメです!
『ハウス・ジャック・ビルト』観た
— バシ (@bashix4) 2019年6月26日
カメラがサイコパス主人公に終始めっちゃ近いから感情移入したくないのにムリヤリ近づかせられる、ルドヴィコ療法みたいな映画だった
美術とキリストに対する知識量が少なかったせいで理解しきれていないのが残念…おそらくナチ政権下での退廃芸術が関係してると思う pic.twitter.com/0gMrdYsjOm
ルドヴィコ療法が登場する悪魔的名作。